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仙台高等裁判所秋田支部 昭和61年(行コ)5号 判決

控訴人

竹村キヤ

右訴訟代理人弁護士

川田繁幸

金野繁

金野和子

横道二三男

山内満

深井昭二

沼田敏明

塩沢忠和

虻川高範

被控訴人

地方公務員災害補償基金秋田県支部長

佐々木喜久治

右訴訟代理人弁護士

早川忠孝

内藤徹

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  申立

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対して地方公務員災害補償法に基づき昭和五四年一月四日付でなした公務外認定処分はこれを取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文と同旨の判決を求めた。

二  主張

当事者双方の主張は、当審陳述されたものに基づき次のとおり付加、補正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。但し、亡竹村吉民の略称として「訴外竹村」としていたのを、理由欄をも通じて単に「竹村」と改め、原判決四枚目表初行の「断えない」を「絶えない」と、一五枚目表一〇行目の「参席」を「参加ないし出席」と各訂正する。

(控訴人)

1  原判決七枚目表四行目に続いて、行を改めて次の主張を加える。

「自宅研修も自主的に研究する公務であり、作文教育研究会や算数教室への参加も明らかな研修であって公務である。しかして、昭和五三年の夏は例年にない猛暑で、特に七月上旬から八月上旬は最高気温と平均気温が平年より三ないし五度高くなっていて、夏休み中も猛暑が続いており、その中で竹村は往復とも夜行列車を利用する日程で埼玉県川口市で行われた作文教育研究会に参加したのであり、高齢で高血圧症の同人には相当の過重負担になった。このような異常な酷暑下で行われた諸活動により、竹村の疲労が一層蓄積され、夏休み中も疲労が回復しにくい状況であった。」

2  原判決一一枚目表八行目に続いて、行を改めて次の主張を加える。

「なお竹村が佐々木医院での治療を受けるのを止めたのは、代替教員の常時配置などの制度的保障がなされていないため、職務専念義務の免除を受けたり年次休暇をとったりすることが容易ではなく、かかる状況下でやむを得ず通院を中止するほかなかったことによるのである。また、竹村は右通院を止めて三ケ月以上経過した昭和五三年六月の定期健康診断では、最大一七〇、最小一〇六という血圧が測定されているのであり、右治療継続時と比べて決して高い数値ではなく、同人に治療中断による反跳(リバウンド)現象は起きていなかった。」

3  原判決一二枚目裏四行目に続いて、行を改めて次の主張を加える。

「特に竹村が中程度の高血圧で要治療状態にあったのに、学校当局は、健康管理義務を怠り、何ら法が定める事後措置を取らなかった。このような基礎疾病を有する竹村にとっては、他の教師と同様の多忙化した日常業務自体が過重な負担なのであるが、同人は全く未経験な一、二学年の担任をし、市教研国語部会の世話人を担当し、研究主任をするなど他の教師と比べて格別重い業務負担を余儀なくされたのである。」

4  原判決一二枚目表八行目の「死亡したものであるが、」の次に、「竹村の高血圧症は長年の経過にもその進展状況は緩慢で、臓器の合併症も見当たらず、中程度であり、急激な自然増悪の過程にあったものではなく、それにも拘らず」を、同丁裏末行の「増悪させ」の次に、「、一過性の血圧亢進、血圧凝固能の亢進を招来した。」を各挿入する。

(被控訴人)

1  原判決一九枚目裏五行目に続いて、行を改めて次の主張を加える。

「竹村は夏休みには児童の課外クラブ指導等という業務もなく、実質的には任命権者から拘束されないマイペースの生活を送っていたのであり、特に発症前一週間は二日間だけ任命権者による拘束のない算数教室に参加し、残りは自宅研修、休日等という楽な生活を送っていたのであるから、当該期間においても同人に業務による疲労の蓄積があったとは認められない。」

2  原判決二〇枚目表末行に続いて、行を改めて次の主張を加える。

「当日の職員会議は、二学期を迎えるに当たり職員の気持ちの切替えを図ると同時に二学期の準備、計画について話合うためのもので、日常業務の一環として行われている職員会議のひとつに過ぎなかった上、夏休み中ということもあって服装や雰囲気の面でも堅苦しさのないくつろいだものであった。竹村の組合歴と冷静な性格からして、発言すること自体について激しい緊張を覚えていたなどとは到底考えられないところであり、また、その発言や意見は出席者からことごとく肯定的に受取られていたので、竹村に極度の興奮を与えたりはしなかった。」

3  原判決二二枚目表七行目の「死亡したことは」から同面九行目末尾までを、「死亡したことは認める。竹村の死因としては脳橋部出血の蓋然性が極めて高い。これは、脳底動脈の分枝である橋枝の血管が長年続いた高血圧症により硝子様変性を呈するようになって破裂し発症するのである。」に改める。

4  原判決二三枚目裏八行目に続いて、行を改めて次の主張を加える。

「一般的にいえば、脳血管疾患及び虚血性疾患等は、いわゆる私病が増悪した結果として発症する疾病である。したがって、職業性例示疾病とは異なり、特定の公務が右疾患を発症させるという関係にはないが、例外的に当該公務が精神的または肉体的に著しい過重負担となるものであったため、これにより基礎疾病である右疾患が明らかにその自然経過を超えて急激に著しく増悪して発症したと医学的に認められる場合に限り、右発症にあたって当該公務が相対的に有力な原因であると判断され、『公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾病』に該当することになるのである。」

5  原判決二四枚目表五行目末尾に続いて次の主張を加える。

「即ち、竹村の発症、死亡は、長年の高血圧症が殆ど未治療のまま放置されたため硝子様変性という重大な血管病変を生じ、一時降圧剤による治療を受けたがそれも自ら止めたためリバウンド現象によりその病変は更に進行し、たまたま公務遂行中にその血管が破綻したことによりもたらされたものであり、公務と本発症との間には相当因果関係がない。」

三  証拠関係〈省略〉

理由

一当裁判所も、次のとおり付加、補正するほかは原判決の説示と同じ理由により、控訴人の本訴請求は棄却すべきものと判断するので、ここにこれを引用する。

1  原判決二五枚目表九行目の「甲第二二ないし第二五号証」から同二六枚目裏七行目までを、「〈証拠〉によると、竹村の脳卒中発症から死亡時までの症状は、入院して数時間後に昏睡状態になるなど重度の意識障害が比較的短期間に進行し、これに異常な発汗、呼吸障害、四肢麻痺と硬直痙攣などが伴っているので、脳橋部出血の病態と符号するほか、同疾病は五〇歳代前半に多く発症すること、一方発症直前まで竹村にその兆候がなく、血管造影で血栓像や血管病変が認められなかったこと、また同人に心疾患の病歴はなく、心電図で不整脈も見当たらなかったこと、これらの諸点に基づいて専門医が判断した結果では、脳血栓、脳梗塞の可能性は薄く、結局竹村の死因は脳橋部出血である蓋然性が高いことが認められる。」

2  同二七枚目裏三行目の「高かったこと」を「高く、昭和四二、三年頃から高血圧であったこと」に改め、二八枚目表末行冒頭の「をみると、」の次に「受診後一〇日足らずで正常値に近い境界域数値まで下り、」を、二九枚目表一行目の「(なお、」の次に「前記証人根田、同滝田、同水戸部、同中島の各証言によると、一般に、」をそれぞれ挿入し、三行目の「生ずることがあるとされている。)」を「生ずることがあり、薬剤反応性の良好な高血圧症程その反跳が大きいとされている。)」に改め、同面九行目の「(別紙第六の一」の次に「、但し昭和五九年に基準の一部が改正された。」を同丁裏四行目の「『高血圧重度判定基準』の二度に」の次に「(但し、当審証人水戸部、同中島の証言によると改正後の三度に該当する。)」を、同面一〇行目の「述べ」の次に「、当審証人の医師水戸部秀利も右同趣旨の証言をし」を、三〇枚目表七行目の「前記管理要綱」の次に「(甲第五八号証)」をそれぞれ挿入し、同丁裏七行目の「がなされ」から次行の「同病院でも」までを「をした上でなお」に、同じ行の「何らなされていないこと」を「何らしなかったほか、竹村の血圧は降圧剤の服用により短期間に正常値近くまで下ったこと」に各改める。

3  原判決三一枚目表一行目の次に、行を改めて以下の説示を加える。

「また、竹村は後記のとおり児童の課外クラブ指導を担当せず、ほぼ定時に帰宅していたのであり、高血圧症の治療としては主として血圧を測定して降圧剤を服用することで短時間で済み、通院も頻繁にする必要もなかったのであるから、職専免、年次休暇など取らなくとも業務に支障なく比較的容易に自宅近くの佐々木医院に通院して治療を継続することができたと考えられる。さらに、竹村は既に昭和四九年に常盤医院で高血圧症と診断されて治療を受け、昭和五一、五二年にも何回か同医院で治療を受けては止めており、毎年学校で行われる定期健康診断でも血圧測定をしてその高い数値がわかっているのであるから、当然自己の高血圧を自覚している筈である。これらの事情と後に説示する竹村の日常の公務の内容をも加味して斟酌すれば、本小学校当局に同人に対する健康管理義務違反の点があったとまでは認めることができない。」

4  原判決五項1ないし4に掲げる証拠として当審証人山田留三郎の証言を、同1に掲げる証拠として成立に争いのない甲第一六号証を、同4に掲げる証拠としていずれも成立に争いのない甲第五二号証、第九四ないし第九八号証、第一九三、第一九四号証、弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第三五、第一二一号証、原審証人志渡博の証言により成立を認めうる乙第三七号証を、同5に掲げる証拠として当審証人佐藤武の証言をそれぞれ加える。

5  原判決三一枚目表七行目の「担任を受け持った」を「学級を受持った」に改め、同丁裏六行目の「訴外竹村は、」の次に「大正一四年九月二八日生れで、」を挿入し、次行の「上沿川」を「上川沿」に訂正し、同面九行目の「同小学校では」の次に「自ら希望していない」を挿入し、次行の「を持った」を「になった」に改め、三二枚目表一行目の「励んだこと」を「励み、生徒達からも好かれていたこと」に、次行の「世話」を「処理」に各改め、同面四行目末尾に続けて「、特に給食については竹村は生徒共々その運搬、配膳、盛付け、偏食是正等に苦労していたが、給食を含む昼休み時間は七〇分あり、他の多くの小学校より長かった。」を加え、三三枚目裏六行目の「定時に出勤し、」の次に「同人は児童の課外クラブ指導を担当していなかったので」を、同面七行目冒頭の「おいては」の次に「仕事を自宅に持ち帰らない日は午後七時三〇分頃就寝し、午前五時頃起床して、」をそれぞれ挿入する。

6  原判決三五枚目裏四行目の「なかったことから」を「なく、また前年度に比べて研修会等の会議の開かれる回数も減少したので」に改め、三七枚目裏三行目の「指定されたため、」の次に「具体的な計画立案、研究等は家庭科担当の工藤ナミエ教師が中心になって行ったものの、竹村は」を挿入する。

7  原判決三八枚目裏六行目冒頭の「欄のうち」から八行目の「自宅研修日」までを「欄記載のとおり」に、三九枚目表三行目の「出勤したこと」を「出勤したが、同時期は学期末の事務整理で多忙であったこと」にそれぞれ改め、同面八ないし九行目の「仕事をしたが、」の次に、「自宅研修については、県教育委員会と県教職員組合との間で、これが教職員の自発性、創造性に基づいて行われ、場所も自宅に限らず、その内容について詳しく報告する必要はなく、また休業中の動静を一々報告する必要もないとする等合意され、そのように取扱われていたこと、作文教育研究会は民間教育研究団体が主催し、県、市教育委員会等が後援して小中学校の一年間の作文の授業の分析、研修を行う研究会であり、算数教室は地元の小学四年生のうち算数の理解度が遅れている生徒を対象として有志の教員が授業するもので、午前九時から一二時まで講習をして、午後は三時頃まで反省、打合わせを行うものであり、竹村は自宅研修などの日にこれらに自発的に参加したこと、」を加える。

8  原判決三九枚目裏一、二行目に続いて「、この年の夏は大館地方としては例年にない猛暑で、毎日の最高気温でいうと七月の第二週目頃から準平年値より摂氏で四、五度、時には一〇度近くも高くなった日が多く、この傾向は八月三日頃まで続き、同月四日以降同月一四日までもやや高目に推移したが、同月一四日ないし一七日は大館地域に雨が降り、同月一六、一七日の両日は準平年値よりも三、四度低くなり、一八日はほぼ平年並みであったこと」を加える。

9  原判決四二枚目表四行目の「体の異常が発現し、」の次に「校医の小田けいが呼ばれて竹村を診察し、その血圧を測定したところ最大血圧二二〇、最小血圧一二〇と著しく高く、同人は脳血管障害と診断されて」を、同丁裏三行目の「零分」の次に「、九時から一〇時までの一時間は一八分」をそれぞれ挿入する。

10  原判決四三枚目表五、六行目を次のように改める。

「以上認定の事実に基づき、竹村の脳卒中(脳橋部出血)による死亡が“公務上の死亡”に該当するかどうかについて検討する。

ところで、〈証拠〉を総合し、前記認定(四項2)を加味すると、脳卒中発症の原因としては、基礎的疾患としての高血圧と、第二次的にこれに伴う脳血管疾患が挙げられるが、右基礎疾患と第二次疾患の双方とも、患者本人の遺伝的素質、食生活、気候、精神的疲労、ストレスなどの諸要因が相互に作用して発症、増悪することが認められる。しかして、竹村がかかる脳卒中(脳橋部出血)発症の大きな要因である高血圧症に罹患していたのは前記認定のとおりであるが、控訴人も右の罹患そのものが業務から生じたと主張しているわけではないので、同人の死亡に業務起因性があるかどうか、即ちその公務と死亡との間に相当因果関係が認められるか否かを判定するに当り、竹村の公務の遂行が脳卒中(脳橋部出血)による死亡そのものの唯一ないし絶対的な原因であると認めうる場合、換言すれば公務遂行中これに関連して時間的場所的に明確にしうる異常な出来事が生じ、これのみが死亡の原因となっている場合であれば、立法当初の趣旨、目的に最も適合するのでこれを肯定し易いわけであるが、現在においてはこのような場合に限らず、他にも原因と目しうるものが存在していても、日常業務に比較して質的量的に異常と評しうるほどに過重な公務を課せられ、それによる過度の精神的、肉体的負荷が相対的に有力な原因となって自然的な進行以上に同人の高血圧症を増悪させて脳卒中(脳橋部出血)の発症を惹起したと認めうる場合もこれを肯定してよいと考える。また、右の意味での過重な業務が日常化し、従って相当期間継続していた場合も固より同様に解すべきである。右二つの場合を通じて、過重な公務を課された最後の時と病変発症の時との間に日時の経過がある事例においては、この間隔が長くなるほど因果関係の存在を肯定し難くなるのは否めないところであるが、右公務による負荷と発症との間に前記趣旨の医学上の結びつきが認められる限り、右期間を数日ないし一週間程度に限定して、これを超えるものすべてを救済の対象外とするのは妥当でないと考える。」

11  原判決四三枚目表末行の「手間のかかる」を「手間がかかり、本人が希望しない」に改め、同丁裏三行目の「同人が」から五行目の「とができる。」までを削除し、八行目の「参加してた」から次行末尾までを「参加していたのであり、更に同人が小学校低学年の学級担任としては高年齢であったことも考慮する必要がある。」と改め、四四枚目表一行目の「低学年の」次に「の方が高学年より下校時間が早いため低学年の」を挿入し、次行の「余裕があり、」を「比較的余裕がある。」に改める。

12  同四四枚目表二行目の「低学年児童の」から同面五行目の「約三分の一程度あり、」までを「そして、昭和五一年度当初は初めて受持つ新一年生の生活指導等と公開研究会の準備等で相応の苦心や苦労があったことは推測に難くないところであるが、生徒が学校生活に慣れるに従いその生活指導等にかかる負担も次第に軽減されることは明らかであり、また公開研究授業が終ってから以後は少なくともこのための準備はなくなり、公務負担が軽減していることは、別紙第二記載の各会議、研修会等の回数が一〇月以後激減していることからも容易に看取され、前記の苦心や苦労から通常の“疲れ”以上の負荷が同人にあったことを認めるに足りる証拠がないのみならず、さらに約五〇日間ある夏休み、冬休みなどの長期休業の際は、そのうちの或程度の日数は自宅で休養することが可能であった筈であるから、そのような疲れなどが年度末まで持続し残存、蓄積していたとは考えられない。昭和五二年度は竹村は研究主任になったが、一年生の学級をそのまま持上がりで担任になったので、各生徒の個性を把握した上でのことであるから一年生当時に比して生活指導等の負担が少なくなり、公開研究会もないため研修会等の会議が前年度より減って公務負担が軽減された状況は、右会議等日程表の同年度の回数が前年度よりかなり減っていることからも推認できる。昭和五三年度も竹村は研究主任で、教育委員会の研究会の準備等があったが、勤続約三〇年の練達な教員である同人にとって難事というほどのことではなく、担任となったのも三年生の学級であるため、生活指導等の面で一層楽になったほか、高学年児童に生ずる特有の問題点に悩まされることもなかったということができる。さらに右三年度を通じて研究会等の準備に忙しい時期は年間を通じて常時あったわけではなく、授業のない日も年間の約三分の一程度あり、課外クラブ指導を受持っていなかったため、同人はほとんど定時に下校し、休日や夏休みにもその指導に当たる必要もなく、」と改める。

13  同四四枚目表八行目の「外観上は極めて健康的な」を「健康的な、少なくとも通常人と同様の」に改め、次行の「というのである。」の次に「もっとも、竹村がこのような生活をしていたからといっても、それが直ちに高血圧が進行していなかった証左となるわけではないが、必ずしも軽度のものとは言い難い右の運動等をしていたことは、同人の全体的な健康状態がさほど悪いものでなかったことを示しているのは疑いを容れないところである。」を加え、同面一〇行目の「竹村には、」から末行の「夏休み期間中に」までを「竹村は昭和五一、五二年度も夏休み、冬休みなどの長期休業期間に自宅で休養をとり得た日もかなりあったと考えられ、この期間中に」に、同丁裏二行目の「転勤して来た」を「転勤直後最小血圧がやや高くなっているもののその」に、五行目の「なされておらないのであって、」を「されなかった。」に各改める。

14  同四四枚目裏五行目の「これらの事情」から八行目末尾までを次のように改める。

「さらに、昭和五三年七月二六日からの夏休期間中、竹村には出張、出勤日が五日あったほかは、休日、職務免除日と自宅研修日であり、この自宅研修日をどのように使うかは専ら教職員の自主性に任され、その内容の詳しい報告も不要な取扱いになっていて任命権者ないし学校管理者から拘束されないのであるから、結局夏休期間中右の拘束を受けない日が発症前日まで休日を含めて一九日間あったのである。そして、竹村が夏休期間中に終日自宅にいたのは一一日間あり(外に川口市へ夜行列車で出発した日、同市から夜行列車で早期帰秋した日がある。)、この一一日ないし一三日間は拘束されることなしに精神的にくつろいだ状態で過しえたのは明らかであり、精神的、肉体的疲労やストレスがあったとしても回復に適した環境下にいたのである。竹村は自宅研修日等のうち四日間は埼玉県川口市で行われた作文教育研究会に往復とも夜行列車利用という日程で参加しているが、これは同人が長年携わってきた作文教育という分野の研究会への自主的参加であるから、過度な精神的疲労やストレスが蓄積するような性質のものではなく、二日間参加した算数教室も同様であり、また、疲労の蓄積を自覚していたとしたら、右の如き日程は自身で避けたとも考え得るのである。これらの活動が公務に準ずるとみなし得るとしても、任命権者から拘束され、その指示に基づいて行う日常業務に比べて精神的疲労、ストレスが生じる度合には雲泥の差があるのは明らかである。その年の夏は例年にない酷暑であったが、“北国である大館地方としては”との限定句付程度のものであるほか、一番気温の高い七月下旬から八月上旬は夏休期間中であり、殊に本発症前数日間は雨が降ったりして気温が下がっているので、右の暑さが高血圧を増悪させたとか、夏休みに入る前に生じたかもしれない疲労の回復を妨げたとは到底考えられない。

加うるに、〈証拠〉によれば、一般生活でもストレスは生じるのであって、これに対する生体反応にも、また脳血管疾患の発症にも著しい個人差があり、ストレスや過労と脳血管障害との関連、これを引起こす仕組や筋道などについて医学的に未解決な点も多いことが認められる。

これらの事情に鑑みれば、竹村の本小学校での右全期間における日常的な公務が、同人の高血圧症を自然的進行を超えて増悪させるもの、即ち長期間にわたって過度に精神的緊張を伴う過重なものであったと認めるのは困難である。

なお、竹村の血圧は、本小学校転勤後の昭和五一年五月に最大血圧一六八、最小血圧一一二、同年一〇月に同一八〇の一一〇、昭和五二年五月に同一七〇の一〇〇、昭和五三年二月に同一九〇の一一〇などとかなり高い数値であったことは前認定のとおりである。しかし、別紙第五の一記載の如く、同人の血圧は昭和四三年四月に既に最大血圧一六五、、最小血圧一一〇と高く(特に最小血圧が著しく高い)、昭和四八年頃からやや高血圧症が進行して、本小学校に転勤になる前年の昭和五〇年四月は最大血圧一七〇、最小血圧一〇〇とかなり高くなっていたのである。このような昭和五三年二月までの血圧上昇の原因としては、竹村が昭和四九年、昭和五一ないし昭和五二年に何回か降圧剤を服用してその都度止めたことがリバウンド現象をもたらしたとも考えられる。」

15  原判決四五枚目表一〇行目の「わけではなく、」の次に「むしろ同人の意見が肯定的に受取られるようなその場の雰囲気であったのであり、」を挿入し、同面末行ないし同丁裏一行目の「考えられず、」から同面七行目末尾までを次のように改める。

「考えられない。また当日は湿度こそ高かったものの気温は夏の日としては格別高かったものとはいえず、天候も時々日が射すことはあったとしても全般的には薄曇りであったから、職員会議中終始竹村の後背部に直射日光が当たっていたとは考えられず、また一般に夏季や暑い場所では血圧が下がるのが普通であり、控訴人主張のように直接日光によってストレスが昂じる程不快感を覚えたのであれば、同人自身で日の当たらない場所に移動するなりして直射日光を避けることもできたのであるから、日差しが時々当たっていたに過ぎないことと考えると、竹村に右日差しによるストレスの亢進があったとは考えられない。そして、右職員会議の終了から本発症まで約一時間二〇分を経ている上、右職員会議中も含めて竹村が体調の異常を訴えたこともなく、外見上も特に変わった様子も見られなかったのである。

従って、右気候条件、環境の下で行われた職員会議が、竹村に高血圧症を自然的進行以上に増悪させる程の過重な精神的緊張を伴うものであったと認めるのは困難である。

なお、脳卒中発症直後の竹村の血圧は最大二二〇、最小一二〇と著しく高いが、〈証拠〉によれば、脳卒中発症直後は往々にして脳幹部の病変などにより血圧が急上昇するとのことであるから、右血圧値の高さは発症の結果であって原因ではないということができる。」

16  同丁裏八行目冒頭から四六枚目表一〇行目末尾までを次のように改める。

「竹村の死因が脳出血であることは争いがなく、当審で控訴人から提出された医学的意見書〈証拠〉、被控訴人から提出された鑑定書〈証拠〉及びこれを作成した当審証人水戸部、同中島の証言を勘案すると、先に説示したとおり正確な死因は脳橋部出血である蓋然性が高い。しかして、〈証拠〉によると、脳橋部出血は、脳橋部を灌流している脳底動脈の分枝である橋枝動脈の破綻――橋枝に生じた小動脈瘤の破裂により起こるものであり、長年の高血圧症により右小血管が弾力性を失い硝子様に変性していて、血圧との兼合いで右破綻が生じたことが認められる。そして、本態性高血圧症では降圧剤の服用を中止すると却って高血圧症が増悪するといういわゆるリバウンド現象が生ずることがあり、薬剤反応性が良好な程これが顕著なこと、竹村の高血圧症が薬剤反応性良好なものであったことは前記説示のとおりである。しかして、竹村は一〇年来の高血圧症であって、高血圧の治療としては早期に降圧剤等の服用をすることが有効であると考えられているが、同人は、昭和四九年に常盤医院で薬物療法を受けるまでは治療を受けたことがなく、同医院で何回か降圧剤の服用を受けては止め、かかる経過ののち昭和五三年二月頃には頭重感、肩凝り、めまいなどの高血圧症の自覚症状を訴えるようになり、佐々木医院で降圧剤の投与を受けて短期間に顕著な降圧効果を得たのに、同年三月を最後に同医院への通院を止め、以後降圧剤を服用せず、再び血圧は高い数値に戻っているのである。

してみると、竹村の本発症については、同人が長年にわたり罹患し、治療不十分なままできた高血圧症が、自然増悪の状態にあって脳血管の病変を形成し、それが進展して脳底動脈の橋枝の破綻を来して脳橋部出血を自然発症させたものであり、たまたま公務遂行の機会に生じはしたが、右死亡が同人の公務に起因するものと認めることはできない。」

17  原判決四六枚目裏五行目の次に、行を改めて以下の説示を加える。

「また、〈証拠〉中には、昭和五一年以降の竹村の多忙な業務が心身の負荷を増大させ、高血圧症の増悪、進展因子として作用して潜在的血管病変を進行させ、発症当日の不快環境と対人ストレスが急激な血圧の上昇、血液凝固能の亢進を招来して潜在的血管病変に作用して脳卒中を発症せしめたとの部分がある。しかし、〈証拠〉によれば、右意見書は竹村の勤務状況、当日の気象、発症経過については控訴人側作成の書面〈証拠〉に基づいて作成したというのであるが、これについては前記認定事実と一部齟齬するところがあって、前提事実が異なるのであり、前記認定した竹村の昭和五一年四月以降の業務内容及び発症当日の状況等、並びに脳神経科専門の医師中島健二が作成した前記鑑定書〈証拠〉及び当審における同証人の証言に照らしても、右〈証拠〉はにわかに採用し難いところである。」

18  原判決別紙第五の二の常盤医院の血圧測定値欄の「同年八月二日」を「同年六月二七日」に、別紙第十の4の土曜日三時限欄の「10:50」を「10:55」に訂正する。

二以上のとおり、原判決は相当であるから、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法三八四条により、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林啓二 裁判官田口祐三 裁判官木下秀樹)

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